コラム

褒められ慣れていない私たちを褒めて伸ばすコツ

キヨスイ(id:kiyosui_goraku)さんのブログ記事

を読んで、あー私も「褒めてるんだけど?」って言われたことあるなーと思いました。
その時の経験を当事者の観点から記事にしてみます。

 

 

自己肯定感が低い私たち

褒められていることに気がつかない人は、自己肯定感が低い人が多いのではないかと思います。

私はADHDの当事者ですが、今まで数え切れないほどのミスを繰り返し、「普通ありえない」と言われる失態を何度もやってきました。

「おいおい、頼むぜ!」と言われるたびに、もう絶対忘れたくない!やらかしたくない!と思うのですが、またやらかすという大迷惑なやつです。

他人の期待を裏切り自分の期待を裏切り、他人からの信頼を失いましたが同時に自分自身からの信頼も失いました。

 

そんな私が……ほ、褒めら……れる?

 

そんなことがあるのか……?という思考です。 

もちろん褒められたことはありますよ。

褒められることが全くわからない訳じゃないんです。

褒められるより叱られる方が多く、記憶に残っているのも褒められたことより「叱られた」という事実とその時のその人の怒り顔、怒り声のほうが多いです。

褒められた記憶は頭の片隅に置いてある小さな古いタンスの中にでもしまいこまれてしまうんじゃないかと思います。

だから褒められ耐性が鈍っているんですね。

 

ガッカリされる恐怖

発達に凸凹のある私たちは凸の部分を見て期待され、凹の部分を見てそのギャップに勝手に落胆されます。

「なんだ、できるやつだと思ったのに……」とか「あれ?なんか期待してたのと違う」そう思われていることって伝わるもので、やっぱり悲しいです。

だから私たちは、「私なんてどうせ……」と自己否定するか、「なんだよ!勝手なこと言いやがって!」と腹をたてることで自分を守ろうとすることが多いように思います。

褒められることは期待されることに繋がります。

私たちは期待されることが怖いのです。

期待を裏切ってしまうことが怖いのです。

私は苦手なことが多く、不注意や衝動性の特性のためにきっとまた失敗して迷惑をかけます。

散々確認したのに見落としがあるし、Aを気をつければBを忘れるのです。

もちろん迷惑をかけたくないし失敗したくありません。その思いは人一倍強いと思います。

それでも私は二度と同じミスはしません!と言えません。

こんなことを言うのは無責任でしょうか?

 

褒められたと思ったら勘違いだった過去

褒められたと思って浮かれていたら、皮肉を言われただけだったことがあります。

「ホントお前は悩みがなさそうでいいよな」と言われて、褒められているのだと思って「元気だけが取り柄ですから♪(笑)」と返していたあの頃。

裏で「アイツは本当に変わってる」「こっちがどんけ迷惑してると思ってんだよ。それに気づかないところがまたムカつくよね!」などと言われていたことに全く気が付かなかったのです。

他にもこういう勘違いは沢山あります。

「色々やってて凄いよねー」とか「イラストうまいよねー!今度私にも描いてね!」とか言われて喜んでいたら、「趣味が多いのはいいけど、やることちゃんとやってからやれよ」という意味だったりただの社交辞令だったり。

糠喜びで恥ずかしいだけならまだしも、皮肉を言われていたり、出来ていないことを遠まわしに指摘されていたりした過去が山ほどあるのです。

私たちにとって、褒められることは恐怖と背中合わせです。

皮肉で言っているのに「(´>∀<`)ゝ))エヘヘ」とか言われたら腹が立つでしょう?

私たち褒められていることに気がつけない、または素直に受け取れない人間)にとって「褒められている」と勘違いするくらいなら「褒められていない」と勘違いする方がマシなのです。

 

そもそも「褒める」とは

そもそも「褒める」とはどういう意味なのか。

ほめる【誉める・褒める】

( 動マ下一 ) [文] マ下二 ほ・む
〔② が原義〕

高く評価していると、口に出して言う。たたえる。 「よく頑張ったと-・められる」 「上手な字だとみんなが-・める」

祝う。祝福する。 「真木柱-・めて造れる殿のごといませ母刀自面おめ変はりせず/万葉集 4342」 〔「ほめる」という動詞は、目上の人に対しては用いることができない。それに対して「たたえる」は文章語的で、ある人が社会的に見て好ましいことをした場合に、目上にも目下にも使えるが、自分の家庭内の人には使いにくい〕

大辞林 第三版より

つまり「その人のしたことを評価して、そのことを言うこと」

よくできましたねーと「言って(表現して)」初めて褒めたことになるんですね。

(おぉー、すごいじゃん)と思っても心の中に留めていては褒めたことにはなりません。

そして、伝わったかどうかまでは含まないのです。

「褒めた」と「褒められた」は主語が真逆です。

目の前の人を「褒めた」のに「褒められた」とその人が受け取ってくれないのは、キャッチボールをしようとボールを投げたのに無視されたのと同じような気持ちだと察します。

一方「褒める」というボールを受け取れなかった私たちは、今までの経験から「後ろにいる他の人に投げたのかもしれない」「ボールが飛んできたように見えるけど気のせいかもしれない」「あれはボールではなく爆弾かもしれない」などと考え、「目の前の相手は私にボールを投げてくれたのだ」という選択肢は一番後回しになってしまっています。

 

いつも迷惑をかけているから……

失敗の多い私たちは周りに迷惑をかけていること、周りの人が自分たちのミスをカバーしてくれていることを知っています。

いつも迷惑をかけて申し訳ない……。

だから、たまに他人から感謝されるようなことができたとしても、いつもの借りの半分も返せていないと思ってしまいます。

「ありがとう!」「おー!いい感じ!すごいじゃん!」と言われても「(こんなことくらいしか出来ませんで……)すみません……」となってしまう事が多いです。

 

カウンセリングに行くと「言葉通り受け取ればいい」とか「褒められても叱られても、それをそのまま受け止めればいい。落ち込みすぎる必要は無いし、喜びすぎる必要も無い」と言われます。

言われていることはわかるけど、「そっか!」と素直に受け止めることができません。

私たちの勘違いは他人を不愉快にさせるし、次に失敗をしたら(私たちは他人よりミスが多い)きっと「ちょっと褒めたくらいで調子に乗った」と言われるでしょ?

空気が読めない私のせいで周りの空気を乱すでしょ?

カウンセリングの先生には「そんなに裏を察しようとしたり、相手の気持ちを考えて不安になっていたらキリがない」と言われます。

私たちは時々空気を読みすぎてその場の空気を乱します。

 

私たちを「褒めて伸ばす」には

キヨスイ(id:kiyosui_goraku)さんのブログでも、分かりやすく言ったつもりなんだけど……というよう表現がありました。

まぁ僕としては、衝撃的なわけでわりと「これはすごくいい感じになったね。」とか、わかりやすい言葉を使っているのですが…気づかれていなかった様子。

発達障害者は褒められているのに気づいていない可能性がある。ここで記憶の定着化が変わる!? – ふつうってなに?

おお……これは私も気づかないかもしれない……

 

もっと正確に言うと、「ありがとう( ^^ )」という返事はできるけど、「褒められた」と受け止めて自信に繋がるような流れにはならないわ……

と思いました。

キヨスイさんの発言が悪いとかじゃなくて、シチュエーションやその人との関係にもよりますが、この言葉だと私たち(褒められていることに気づけない人たち)の自己肯定感アップ→「褒めて伸ばそう」と思ってくださる方のご期待に応えるという流れにはならないだろうなぁ……ということ。

 

どうすれば褒められたことを受け止められるのか

主語をください。

「私は」助かっているとか、「彼が」凄いと褒めていたよとか。

自分が話す時主語を忘れがちな私が言うのもあれなんですが、「いい感じだねー」とか「凄いじゃん」と言われても、状況によっては「それ今誰に言ったの?」とか「凄いの対象はどれ?何がすごいの?」となります。

具体的には

  • 「いいペースで仕事が進んでいるね。君のおかげで助かるよー」
  • 「わぁ!可愛い!私そのイラスト好きだなー」
  • 「私だけだったらそのアイデアは出なかったな!あなたが手伝ってくれたから面白いものができそうだよ」

などと言ってくれると受け止めやすいです。

信頼している人からの言葉だとさらに効果は倍増です♪

さらに言えば「褒めたポイント」を具体的に教えてもらえると助かります

褒めて伸ばしたい時や「いいと思った」という気持ちを本当に伝えたいなら「おっ!いいねー!」と言われるより、「その色使いイメージにぴったりだよ!」とか「その発想は僕にはなかったな!その言葉だと明るいイメージになっていいね!」とか。

逆に受け止めにくいものは

  • 「もう終わったの?早いね!」
  • 「わぁ!絵を描くのがうまいね!すごいね!」
  • 「最近忘れ物が減ったね!いい感じじゃん!」

などです。プレッシャーになり逆効果です。

 

効果的な褒め方と逆効果な褒め方

何が違うかわかりますか?違いは二つです。

一つは、前者がいわゆる「Iメッセージ」で後者は「YOUメッセージ」だということ。

二つ目は前者が「その行動をしたあなた」を褒めているのに対し、後者は「行動そのもの」を褒めているという点です。

 

幼児教育を学んだことのある方ならピンとくるかも知れません。

この方法は子どもたちを褒める時にも使われる方法なのですが、「その行動をしたあなたを私はすごいと思っている(助かった)」などという伝え方をすることで褒める方の気持ちも伝わり、褒められた方も受け止めやすくなるのです。

褒める対象が「その行動をしたあなた」というのもポイントです。

行動自体を褒めると、次も褒められたいから頑張っていい結果を出さなければとか、次はもっと頑張って更なる期待に応えないといけない、という考え方を作る可能性が高いです。

その結果うまくいかなかった時に、自分を責めてしまったり、期待に応えられなかったから幻滅されたんじゃないかと悪い想像をしてしまうからです。

いい結果を出したから褒められた=いい結果を残す行動をしないと褒められない=失敗する私はダメな人間だ。

このループに陥ると自己肯定感がとどんどん下がり、あっという間に「褒められていることに気が付かない人間」の完成です。

 

私は子どもたちと接する時は特に「いいねー!」「すごいねー!」という短い単語だけで「褒めたのに……」と思わないようにしています。

「いいねー!」「ありがとう!」という短文の会話「おはよう!」とか「今日もいい天気ねー」と同義だといってもいいくらい、深い意味の無いコミュニケーションです。

ある程度具体的に、その子の行動の結果自分がどう思ったか、どんな風に助かったか、などを伝えるようにしています。

 

「めんどくせぇな……」と思いましたか?

これは「こうして欲しい」というお願いではなく、あくまでも「こうしてもらえると受け止めやすい」という話としてお受け取り下さい。

これは子育てにも当てはまるお話なので、パパさんママさん、子どもと触れ合う機会の多い方はぜひ一度発達心理学などの本やサイトを見てみるといいかもしれません( ^^ )

 

「褒められている」は分かるようになる

「褒められ慣れていない私たちを褒めるコツ」なんていうタイトルをつけましたが、「褒めて伸ばしてくれ」と言っているように聞こえるかな……と結構悩みました。

「せっかく褒めたのに……」とか「素直になればいいのに」とか思われても仕方が無いのですが、褒められたことに気がつけなかったり、素直に受け止められない私たちの頭の中を一部でも知ってもらうことで、すれ違いが少しでも減ればいいなと思います。

褒めら慣れなれていなかったり、自己肯定感が低いタイプの私たちは、褒められた時に喜んだり、嬉しそうにすること、「ありがとうございます」とシンプルに受け止めることに対して不安があります。

分かりやすく上手に褒めてもらうことで自己肯定感が少しずつ上がります。

自己肯定感があがれば、徐々に褒められたことをシンプルに受け止められるようになります。

「褒められた」ことが分かるようになるのです。好循環。

 

いい意味で「褒められ慣れる」ことはできる。

 

いい循環が生まれて、褒める人も褒められる人もWin-Winで気持ちよくなれたらいいなと願っています。

当事者として私も肝に命じなければ。